地球上にあふれる幸せと恵みを、ちょこちょこと発掘するためのダウジング的ツール☆
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またまたご無沙汰の日記です。
最近は本当に「何かを書く」ことに心が燃えない私です(笑)
シンプルにいきましょう。
まずご報告、このブログでも宣言したと思いますが
単独旅行で「奈良に行く!」と決めていたはずなのに
いつの間にか数名の仲間たちと
伊勢神宮&熊野古道に行くことになってしまいました(汗)
それは8月の末ですが
すでに航空券は手元にあります。
いまだに私は何故この時期に自分がそこに行かなければならないのか
よく解っていません(大汗)
当初は行き先を奈良と定めて、とてもワクワクしていたんですが
6月中はスケジュールの都合が合わなくて
気がつくと7月に入ってしまっていました。
そうこうしているうちに、本当にあれよあれよという間に
仲間のお伊勢参りのメンバーに入っちゃってました・・・(汗)
伊勢神宮はともかく、私は熊野古道に関しては恥ずかしいほどに知識が無くて
一緒に行くことになっている我がメンターのNさんから
「世界遺産 日本の原郷・熊野古道」
という写真集を借りてみました。
それを読んで、初めて
自分はスゴイところに行っちゃうんだーーーー!!!!!
という自覚が湧いてきました・・・(爆)
伊勢神宮も
「日本人だから死ぬまでに一度くらいは行ってみたいかな~・てへ☆」
みたいな感覚しかなかったので、
いま行ける事がにわかに信じがたいくらいです。
また・・・他3名の同行メンバーもめちゃくちゃ濃い顔ぶれで
(キャラクター的にも、魂の絆レベルでも・汗)
今からもう旅行中に何があってもおかしくないな・と覚悟しています・・・。
というかこんなに決死の覚悟で出掛ける旅も初めてです(涙)
無事に戻ってきたら、皆さんまたブログでお会いしましょう・・・(爆)
もうひとつのご報告、
こちらもまたブログに書いていた話なんですが
「あの」紛失していた水晶が
なんと本日手元に戻ってまいりました~~~~!!!!!
どこにあったと思いますか・・・?
ありえないことなんですが、
なんと枕カバーの中からごろっと飛び出してきたんです!
なぜありえないことなのか?
・・・だってこの枕カバー、
紛失事件からもう数回くらい洗って干したりしているんです(汗)!
私は「通販生活」という雑誌で常に人気ランキング上位をキープしている
「メディカル枕」という代物を愛用しています。
この枕、カバーが結構大きいんです。
それで気がつかなかったのかもしれないんですが、
それにしたって2・3回も洗っていれば
水晶みたいな硬くてごろりとしたものに気がつかないわけがないんですが・・・
それが今日、2007年7月7日早朝に
再びお目見えしてくれました。
自分でもちょっとアンビリーバボーなんですが、
不思議なこととか信じがたいことなんかいちいち論っていたら
最近はきりがないような状態ですので(汗)
ここはさくっと受け止めて、素直に喜びたいと思います(笑)
戻ってきてくれてありがとう、水晶さん!!!
さてもう一つ話題を。
最近私は「合一(ユニオン)」という意識について
考える機会を多く与えられています。
身近な例では陰と陽。
これも合一(ユニオン)意識ですね。
光と影、男性と女性、天と地、凸と凹、生と死、強と弱、若と老、白と黒・・・
これらのものは私たちの暮らしている三次元の世界では一対になって働いており、
決して分離することの無い存在のものです。
中国では古来からこれら一方だけが存在しているのではなく
両極が繰り返し循環しているのが自然のサイクルだと看破していて
「陰陽道」という学問が発達していたくらいです。
陽がいいとか陰が悪いとか、
そういう問題ではないんですね。
私は冷え性ですので温かいものが大好きですが、
陽を感じたいなら陰が存在することを認めなければならない。
陰を嫌い、撲滅を宣言するなら陽もまた共に消えなければならないということです。
最近、古い知人と話をしていたときに
「過去に受けた傷の深さ」
にクローズアップする機会がありました。
彼女は辛かった過去を癒すために
次々と高額のセラピーやセッションを受けてきました。
けれどもついに
「他人の力に頼っていてはいつまでたっても救われない」
と思い至るようになったそうです。
おそらく・・・
自分の過去を救うことが出来るのは
霊能者でもヒーラーでもなくて
自分自身の意思しかないんじゃないのか、と。
そこで二人でどんどん過去に遡って話をしていきました。
やがて彼女の最も辛い過去に触れるときが来ました。
彼女のお母さんはある日、
「じゃ、お母さん行くからね」
と幼い彼女と弟に言い残して
まるで買い物にでも出掛けるかのように
普通にぶらっと家から出て行ってしまったのです。
私は何度かこの話を聞いていたのですが、
その度に彼女は平気な顔をして話してくれていました。
今回もそうなのかと思っていたら、突然
驚くほど沢山の涙がその両目から溢れ出してきました!
わっ、いきなり泣き出した!!!(狼狽!!!)
二十年来付き合っていてこの人の泣いたところなんて初めて見るので
私のほうもびっくりです(大汗)!!!
泣きながら彼女は、自分でもびっくりしていました!
「あれだけたくさんセラピーを受けたのに、まだ傷が癒えていないんだね!」
・・・いや~・・・
そりゃ簡単に癒える様な心の傷ではないでしょう・・・(落涙)・・・
ティッシュボックスが空になるくらい彼女は泣いていましたが
しばらくすると気が済んだのか、
「ああ、スッキリした♪」
といってケロッとした顔をして帰っていきました。
それから二日ほどたって電話があり、
「あれから家に帰ってからも一人で号泣した」
「でも、ようやくそういう過去があってもいいや!って思えるようになった♪」
と伝えてくれました。
・・・いやあ・・・スゴイ人です・・・(感涙)・・・
そこで思ったのですが、
過去に受けた心の傷というものは
いくら消そうと奮闘してみても消すことは出来ないし、
癒そうと努力してみても癒せないものなんじゃないのかな、と。
悲しかったり苦しかったり、そういった感情は「陰」だと思うのですが
陰を否定すると陽もまた否定されることになります。
人間である以上、心の中にそういった感情が湧き上がるのは当然のことですよね。
大切なことは
悲しいと思ったときに・
苦しいと思ったときに・
それを消そうとしないことなんじゃないでしょうか・・・
どんな感情も、判断を行わなければ
それは「魂の自己表現」なんだと思います。
私たちは大人になるに従って、
人前で悲しんだり苦しんだりする姿を見せてはいけないという
道徳観を刷り込まれてしまいますが・・・
最初は上手に「悲しみ」「苦しみ」だけを抑圧しているつもりが、
いつしか沢山感じたいはずの
「喜び」「楽しみ」すらも感じられないようになってしまうんですね。
「自分が生きているような気がしない」
「何をしても無感動で、心が動かない」
こういった感覚を持っている人はおそらく
かつて感じるべきだった悲しみ・・・そして苦しみを
押し殺して生きていらっしゃるのかもしれません。
私自身がそうだったので、これはとても良く解るのですが・・・
「善」とか「正」を重視するあまりに
魂が感じることに耳を塞いでしまうんですね。
他人にとっては正直者ですが、自分にとっては不正直です。
それは正しくない・・・
それは自分勝手だ・・・
そういう判断基準が、自分の感情に素直であることを罪悪とみなすわけですね。
でも、
悲しみや苦しみを抑圧することは
魂が表現しようとしている衝動を押し殺すこと・・・
自分を表現する場を奪われた魂は、
やがて無感動という「深い悲しみ」に囚われてしまうんです。
そういう意味では
悲しむことや苦しむことでさえ、
魂にとっては「自己を表現できる喜び」を感じることのできる行為のひとつであると言えるのかもしれません。
私も今は、
大いに悲しみ・喜び・苦しみ・楽しむことを
自分の魂に許しています。
そうすると過去の傷も勝手に癒されていくようです。
心の傷を消そうと奮闘するのではなく、
その記憶をも手のひらで包み込むようにして
慈しみながら未来へ前進することが出来るんです^^!!
分離から合一へ・・・
この頃は幾度も「ユニオン」というフレーズが脳裏に上ってきます。
それが時代のキーワードなのでしょうか?
ユニオン意識で生きることを
真剣に考える時代が来たのかもしれませんね・・・^^☆
最近は本当に「何かを書く」ことに心が燃えない私です(笑)
シンプルにいきましょう。
まずご報告、このブログでも宣言したと思いますが
単独旅行で「奈良に行く!」と決めていたはずなのに
いつの間にか数名の仲間たちと
伊勢神宮&熊野古道に行くことになってしまいました(汗)
それは8月の末ですが
すでに航空券は手元にあります。
いまだに私は何故この時期に自分がそこに行かなければならないのか
よく解っていません(大汗)
当初は行き先を奈良と定めて、とてもワクワクしていたんですが
6月中はスケジュールの都合が合わなくて
気がつくと7月に入ってしまっていました。
そうこうしているうちに、本当にあれよあれよという間に
仲間のお伊勢参りのメンバーに入っちゃってました・・・(汗)
伊勢神宮はともかく、私は熊野古道に関しては恥ずかしいほどに知識が無くて
一緒に行くことになっている我がメンターのNさんから
「世界遺産 日本の原郷・熊野古道」
という写真集を借りてみました。
それを読んで、初めて
自分はスゴイところに行っちゃうんだーーーー!!!!!
という自覚が湧いてきました・・・(爆)
伊勢神宮も
「日本人だから死ぬまでに一度くらいは行ってみたいかな~・てへ☆」
みたいな感覚しかなかったので、
いま行ける事がにわかに信じがたいくらいです。
また・・・他3名の同行メンバーもめちゃくちゃ濃い顔ぶれで
(キャラクター的にも、魂の絆レベルでも・汗)
今からもう旅行中に何があってもおかしくないな・と覚悟しています・・・。
というかこんなに決死の覚悟で出掛ける旅も初めてです(涙)
無事に戻ってきたら、皆さんまたブログでお会いしましょう・・・(爆)
もうひとつのご報告、
こちらもまたブログに書いていた話なんですが
「あの」紛失していた水晶が
なんと本日手元に戻ってまいりました~~~~!!!!!
どこにあったと思いますか・・・?
ありえないことなんですが、
なんと枕カバーの中からごろっと飛び出してきたんです!
なぜありえないことなのか?
・・・だってこの枕カバー、
紛失事件からもう数回くらい洗って干したりしているんです(汗)!
私は「通販生活」という雑誌で常に人気ランキング上位をキープしている
「メディカル枕」という代物を愛用しています。
この枕、カバーが結構大きいんです。
それで気がつかなかったのかもしれないんですが、
それにしたって2・3回も洗っていれば
水晶みたいな硬くてごろりとしたものに気がつかないわけがないんですが・・・
それが今日、2007年7月7日早朝に
再びお目見えしてくれました。
自分でもちょっとアンビリーバボーなんですが、
不思議なこととか信じがたいことなんかいちいち論っていたら
最近はきりがないような状態ですので(汗)
ここはさくっと受け止めて、素直に喜びたいと思います(笑)
戻ってきてくれてありがとう、水晶さん!!!
さてもう一つ話題を。
最近私は「合一(ユニオン)」という意識について
考える機会を多く与えられています。
身近な例では陰と陽。
これも合一(ユニオン)意識ですね。
光と影、男性と女性、天と地、凸と凹、生と死、強と弱、若と老、白と黒・・・
これらのものは私たちの暮らしている三次元の世界では一対になって働いており、
決して分離することの無い存在のものです。
中国では古来からこれら一方だけが存在しているのではなく
両極が繰り返し循環しているのが自然のサイクルだと看破していて
「陰陽道」という学問が発達していたくらいです。
陽がいいとか陰が悪いとか、
そういう問題ではないんですね。
私は冷え性ですので温かいものが大好きですが、
陽を感じたいなら陰が存在することを認めなければならない。
陰を嫌い、撲滅を宣言するなら陽もまた共に消えなければならないということです。
最近、古い知人と話をしていたときに
「過去に受けた傷の深さ」
にクローズアップする機会がありました。
彼女は辛かった過去を癒すために
次々と高額のセラピーやセッションを受けてきました。
けれどもついに
「他人の力に頼っていてはいつまでたっても救われない」
と思い至るようになったそうです。
おそらく・・・
自分の過去を救うことが出来るのは
霊能者でもヒーラーでもなくて
自分自身の意思しかないんじゃないのか、と。
そこで二人でどんどん過去に遡って話をしていきました。
やがて彼女の最も辛い過去に触れるときが来ました。
彼女のお母さんはある日、
「じゃ、お母さん行くからね」
と幼い彼女と弟に言い残して
まるで買い物にでも出掛けるかのように
普通にぶらっと家から出て行ってしまったのです。
私は何度かこの話を聞いていたのですが、
その度に彼女は平気な顔をして話してくれていました。
今回もそうなのかと思っていたら、突然
驚くほど沢山の涙がその両目から溢れ出してきました!
わっ、いきなり泣き出した!!!(狼狽!!!)
二十年来付き合っていてこの人の泣いたところなんて初めて見るので
私のほうもびっくりです(大汗)!!!
泣きながら彼女は、自分でもびっくりしていました!
「あれだけたくさんセラピーを受けたのに、まだ傷が癒えていないんだね!」
・・・いや~・・・
そりゃ簡単に癒える様な心の傷ではないでしょう・・・(落涙)・・・
ティッシュボックスが空になるくらい彼女は泣いていましたが
しばらくすると気が済んだのか、
「ああ、スッキリした♪」
といってケロッとした顔をして帰っていきました。
それから二日ほどたって電話があり、
「あれから家に帰ってからも一人で号泣した」
「でも、ようやくそういう過去があってもいいや!って思えるようになった♪」
と伝えてくれました。
・・・いやあ・・・スゴイ人です・・・(感涙)・・・
そこで思ったのですが、
過去に受けた心の傷というものは
いくら消そうと奮闘してみても消すことは出来ないし、
癒そうと努力してみても癒せないものなんじゃないのかな、と。
悲しかったり苦しかったり、そういった感情は「陰」だと思うのですが
陰を否定すると陽もまた否定されることになります。
人間である以上、心の中にそういった感情が湧き上がるのは当然のことですよね。
大切なことは
悲しいと思ったときに・
苦しいと思ったときに・
それを消そうとしないことなんじゃないでしょうか・・・
どんな感情も、判断を行わなければ
それは「魂の自己表現」なんだと思います。
私たちは大人になるに従って、
人前で悲しんだり苦しんだりする姿を見せてはいけないという
道徳観を刷り込まれてしまいますが・・・
最初は上手に「悲しみ」「苦しみ」だけを抑圧しているつもりが、
いつしか沢山感じたいはずの
「喜び」「楽しみ」すらも感じられないようになってしまうんですね。
「自分が生きているような気がしない」
「何をしても無感動で、心が動かない」
こういった感覚を持っている人はおそらく
かつて感じるべきだった悲しみ・・・そして苦しみを
押し殺して生きていらっしゃるのかもしれません。
私自身がそうだったので、これはとても良く解るのですが・・・
「善」とか「正」を重視するあまりに
魂が感じることに耳を塞いでしまうんですね。
他人にとっては正直者ですが、自分にとっては不正直です。
それは正しくない・・・
それは自分勝手だ・・・
そういう判断基準が、自分の感情に素直であることを罪悪とみなすわけですね。
でも、
悲しみや苦しみを抑圧することは
魂が表現しようとしている衝動を押し殺すこと・・・
自分を表現する場を奪われた魂は、
やがて無感動という「深い悲しみ」に囚われてしまうんです。
そういう意味では
悲しむことや苦しむことでさえ、
魂にとっては「自己を表現できる喜び」を感じることのできる行為のひとつであると言えるのかもしれません。
私も今は、
大いに悲しみ・喜び・苦しみ・楽しむことを
自分の魂に許しています。
そうすると過去の傷も勝手に癒されていくようです。
心の傷を消そうと奮闘するのではなく、
その記憶をも手のひらで包み込むようにして
慈しみながら未来へ前進することが出来るんです^^!!
分離から合一へ・・・
この頃は幾度も「ユニオン」というフレーズが脳裏に上ってきます。
それが時代のキーワードなのでしょうか?
ユニオン意識で生きることを
真剣に考える時代が来たのかもしれませんね・・・^^☆
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本日6月27日に、30代最後の誕生日を迎えました。
朝からmixiの方にたくさんのメッセージを戴きまして、
本当に皆さんどうもありがとうございます


この日生まれの人物といえば
故人ではヘレンケラー、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
現代では画家の横尾忠則や
東国原知事がいますね。
6.27という数字の影響なのかアストロロジーのせいか分かりませんが、
この日に生まれてしまった以上は
「くさやの干物」のように一種独特な臭みの漂う人生が展開していくことを
覚悟する必要があるように感じます。
今後もそれなりに香味豊かな「くさやの干物」を目指して
精進していきたいと思っております(笑)
今後ともどうかよろしくお願いいたします


さて、昨夜は偶然にも
同じ6月27日生まれの方と同席する機会がありました。
39年間生きてきまして
同じ誕生日の人と直接出会ったのは初めてのことです。
相手の方もそうだったらしく、非常に驚いていらっしゃいました。
昨日は先日このブログでもご紹介した
一級建築士でノストラダムスの研究家でもある
池田邦吉さんのお食事会が
札幌北区のライブハウスtoneで開かれたのです。
その方は池田さんと一緒に
わざわざ本州からやって来てくださった女性でした。
なんと脳髄液が減少するという原因不明の難病と闘いながらも
(そのために一日のうちで活動できる時間が限られているようですが)
自分の人生をエンジョイなさっているという素晴らしい方です。
この女性が池田さんと出会って病気を治していく様が
池田さんの著書「あしたの世界」第四巻目に描かれているそうです。
ここでの詳しい説明は割愛させていただきますが、
その出会いもひっくるめて
昨夜のお食事会は大変に興味深い内容のものとなりました。
まず「ノストラダムス」といえば、真っ先に思い浮かぶのが
<1999年7の月に恐怖の大王アンゴルモアが空から降りてきて・・・>
のアレですね(笑)
日本では五島勉さんという方が訳した本が
20世紀末には大ブームになりましたが、
結局何事も起こらずに2000年を迎えることが出来たので
いまや「ノストラダムスの預言書=トンデモ本」という
一般の認識が出来上がってしまっていると思います。
池田邦吉さんという方は東京工業大学建築家を卒業なさった後
一級建築士としてご活躍する傍らに、
勉学の過程で身につけた物理・化学・地質学などを駆使して
1995年にノストラダムスの預言書・原本を入手されてからは
「預言書の正確な解読」にフォーカスした執筆活動を続けていらっしゃるということでした。
私の調べたところによると、
「ノストラダムスの預言書」とは
1555年にフランスのリヨンで出稿されたものが原点になっているようです。
その後必要に迫られて
リヨン・アヴィニョンなどで増刷・加筆されていきました。
形式として4行詩になっていることは有名ですが、
もともとは当時彼の生まれたばかりの息子に宛てて書かれたものです。
そして序文からすでに
「いつかやってくる大洪水への心構えとしてこれを書き遺す」
ということを明記してあります。
ノストラダムスの預言とは、つまりそこに至るまでの世界情勢の変遷も盛り込みつつ
現在我々が知っている社会基盤が
大洪水によって一掃される可能性を示唆したものであるのです。
だからこそ、時代や国を超えて
色々な方々が翻訳作業に挑んでいらっしゃるのですね。
池田さんの最近の解読では、
日付の誤差はありますが
預言に記された内容のものは
ほぼ的中しているということです。
残念ながら私は池田さんのご本を読んでいないので(汗)
「めちゃ的中してますよ!!」
とははっきりと書けませんが。
たとえば最近の出来事では
イギリス王室におけるダイアナ元妃の死。
チャールズ皇太子とカミラさんの結婚。
チェルノブイリの原発事故や
ハリケーン・カトリーナの襲来、
インドネシアで起きた大地震と大津波・・・など。
昨日うっかりご本人にツッコんでくるのを忘れてしまったのですが、
池田さんが入手した原典というものが
本当に1555年リヨン版初版本であるのかどうかが
私にはまだ確信が持てません。
ので、食事の席で池田さんがお話された
「ノストラダムス預言に基づく今後の世界情勢の見通し」
の内容をここにシェアしたいと思ったのですけど、
「なんか気分が滅入ってくる・・・」とか
「読んでいると闇に引きずられそうだ・・・」とか思われそうな方は
以下の文章を読まないでおくことをお奨めします(笑)
わあ、すっごお~い♪そういう預言もあるんだねえ~
くらいの軽いノリで読める方は大丈夫でしょう^^!
池田さんいわく
「これはもう、どーしよーもないですからっ!!
地球そのものが変化を望んで受け入れている時期に、
その上に暮らしている我々がいくら『ヤメテ~!』と叫んでもムダですからっ!!」
「祈らないでいいですからっ!!祈ってもややこしくなるだけですからっ!!」
「他の国がカワイソーとか思わなくていいですからっ!!
ちゃんと助かるべき人は全員助けられますからっ!!」
「別に慌てて備蓄とかしなくてもいいですからっ!!日本はとにかく大丈夫ですからっ!!」
「心痛めなくていいですからっ!!痛めるだけムダですからっ!!」
(一見スーツをびしっと着こなしている真面目なお役人タイプの人に見えるのですが、
本当にこんな話し方をなさるんです・・・大汗)
と、そんな気分に同調できる方だけ
この先をお読みください
ちなみに私はいつも講演などで見聞した話を
こちらのブログに載せるときには、
必ずご本人の許可を得るようにしています。
昨夜も池田さんに
「この内容をそのまんまブログに載せていいか」を問いましたら
このような返事が返ってきました。
「ああ、僕はまったく構いませんよ~!
でもあなたの頭がおかしくなったと皆に思われることについては
責任をもてませんねー・笑」
と、いうことですべてにおいて自己責任ということですわね(笑)!
では本当に興味のある方だけ、以下スクロールでお願いします。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
<2007年6月26日 Line&Cafe tone にて
池田邦吉による演題:これから世の中がどうなるか>
2007年8月下旬ごろ
イタリア・ナポリにあるベスビオ火山が活動を始める。ナポリを震源とする直下型地震。
現ローマ法王の死去。9月の始めにレオン14世と名乗る次期法王がベルギーから選出されるが
11月22日に暗殺される。以後法王は選出されず、ここにキリスト教は終焉を迎える。
ヨーロッパ全土で大洪水が発生。
秋雨前線や台風の影響などで北朝鮮の平壌が洪水下に。
軍事クーデターが起こり、金正日は処刑される。
9月25,26日ごろ
夕方の東の空、成層圏の上に巨大な光の玉が出現。
一人ひとりにメッセージを降ろす。
9月27日ごろ
ベスビオ誕生以来史上最大の火山爆発によってイタリアが崩壊する。
<超巨大円盤>が出現してヨーロッパ人を多数救出する。
ユーロ・ドルが崩壊し、世界金融恐慌が起こる。されど円高。
同時期に中国・北朝鮮の経済が破綻。
小麦・石油・金(ゴールド)の暴騰。
ベスビオの火山灰が北半球を覆い、
今年の冬は氷河期並みの厳しい寒さになる。
2008年5月ごろ
地中海にあるサントリーニ島の海底火山が爆発。
これによって大規模な地殻変動が始まる。
ヨーロッパ大陸とイギリス諸島が崩壊し、人の住める場所が少なくなる。
現在陸地のある部分の半分が水没する。
日本人はこの先世界のリーダーシップをとっていかなければならないので
各自が自分に誇りを持ち、正直な生き方を全うするように。
現在日本を支配している「かくれユダヤ」の血統は消滅する。
世界的食糧危機がやってくるが、日本は大丈夫なので
決してパニックになってはならない。
この時代、日本人に生まれたことを心から感謝して
「洗心(こころを清めること)」しつつ役目を果たしましょう。
・・・とのことでした
!
非常に濃厚な(笑)面白いひと時を過ごさせていただきました。
新たなご縁に感謝!!です



朝からmixiの方にたくさんのメッセージを戴きまして、
本当に皆さんどうもありがとうございます



この日生まれの人物といえば
故人ではヘレンケラー、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
現代では画家の横尾忠則や
東国原知事がいますね。
6.27という数字の影響なのかアストロロジーのせいか分かりませんが、
この日に生まれてしまった以上は
「くさやの干物」のように一種独特な臭みの漂う人生が展開していくことを
覚悟する必要があるように感じます。
今後もそれなりに香味豊かな「くさやの干物」を目指して
精進していきたいと思っております(笑)
今後ともどうかよろしくお願いいたします



さて、昨夜は偶然にも
同じ6月27日生まれの方と同席する機会がありました。
39年間生きてきまして
同じ誕生日の人と直接出会ったのは初めてのことです。
相手の方もそうだったらしく、非常に驚いていらっしゃいました。
昨日は先日このブログでもご紹介した
一級建築士でノストラダムスの研究家でもある
池田邦吉さんのお食事会が
札幌北区のライブハウスtoneで開かれたのです。
その方は池田さんと一緒に
わざわざ本州からやって来てくださった女性でした。
なんと脳髄液が減少するという原因不明の難病と闘いながらも
(そのために一日のうちで活動できる時間が限られているようですが)
自分の人生をエンジョイなさっているという素晴らしい方です。
この女性が池田さんと出会って病気を治していく様が
池田さんの著書「あしたの世界」第四巻目に描かれているそうです。
ここでの詳しい説明は割愛させていただきますが、
その出会いもひっくるめて
昨夜のお食事会は大変に興味深い内容のものとなりました。
まず「ノストラダムス」といえば、真っ先に思い浮かぶのが
<1999年7の月に恐怖の大王アンゴルモアが空から降りてきて・・・>
のアレですね(笑)
日本では五島勉さんという方が訳した本が
20世紀末には大ブームになりましたが、
結局何事も起こらずに2000年を迎えることが出来たので
いまや「ノストラダムスの預言書=トンデモ本」という
一般の認識が出来上がってしまっていると思います。
池田邦吉さんという方は東京工業大学建築家を卒業なさった後
一級建築士としてご活躍する傍らに、
勉学の過程で身につけた物理・化学・地質学などを駆使して
1995年にノストラダムスの預言書・原本を入手されてからは
「預言書の正確な解読」にフォーカスした執筆活動を続けていらっしゃるということでした。
私の調べたところによると、
「ノストラダムスの預言書」とは
1555年にフランスのリヨンで出稿されたものが原点になっているようです。
その後必要に迫られて
リヨン・アヴィニョンなどで増刷・加筆されていきました。
形式として4行詩になっていることは有名ですが、
もともとは当時彼の生まれたばかりの息子に宛てて書かれたものです。
そして序文からすでに
「いつかやってくる大洪水への心構えとしてこれを書き遺す」
ということを明記してあります。
ノストラダムスの預言とは、つまりそこに至るまでの世界情勢の変遷も盛り込みつつ
現在我々が知っている社会基盤が
大洪水によって一掃される可能性を示唆したものであるのです。
だからこそ、時代や国を超えて
色々な方々が翻訳作業に挑んでいらっしゃるのですね。
池田さんの最近の解読では、
日付の誤差はありますが
預言に記された内容のものは
ほぼ的中しているということです。
残念ながら私は池田さんのご本を読んでいないので(汗)
「めちゃ的中してますよ!!」
とははっきりと書けませんが。
たとえば最近の出来事では
イギリス王室におけるダイアナ元妃の死。
チャールズ皇太子とカミラさんの結婚。
チェルノブイリの原発事故や
ハリケーン・カトリーナの襲来、
インドネシアで起きた大地震と大津波・・・など。
昨日うっかりご本人にツッコんでくるのを忘れてしまったのですが、
池田さんが入手した原典というものが
本当に1555年リヨン版初版本であるのかどうかが
私にはまだ確信が持てません。
ので、食事の席で池田さんがお話された
「ノストラダムス預言に基づく今後の世界情勢の見通し」
の内容をここにシェアしたいと思ったのですけど、
「なんか気分が滅入ってくる・・・」とか
「読んでいると闇に引きずられそうだ・・・」とか思われそうな方は
以下の文章を読まないでおくことをお奨めします(笑)
わあ、すっごお~い♪そういう預言もあるんだねえ~

くらいの軽いノリで読める方は大丈夫でしょう^^!
池田さんいわく
「これはもう、どーしよーもないですからっ!!
地球そのものが変化を望んで受け入れている時期に、
その上に暮らしている我々がいくら『ヤメテ~!』と叫んでもムダですからっ!!」
「祈らないでいいですからっ!!祈ってもややこしくなるだけですからっ!!」
「他の国がカワイソーとか思わなくていいですからっ!!
ちゃんと助かるべき人は全員助けられますからっ!!」
「別に慌てて備蓄とかしなくてもいいですからっ!!日本はとにかく大丈夫ですからっ!!」
「心痛めなくていいですからっ!!痛めるだけムダですからっ!!」
(一見スーツをびしっと着こなしている真面目なお役人タイプの人に見えるのですが、
本当にこんな話し方をなさるんです・・・大汗)
と、そんな気分に同調できる方だけ
この先をお読みください

ちなみに私はいつも講演などで見聞した話を
こちらのブログに載せるときには、
必ずご本人の許可を得るようにしています。
昨夜も池田さんに
「この内容をそのまんまブログに載せていいか」を問いましたら
このような返事が返ってきました。
「ああ、僕はまったく構いませんよ~!
でもあなたの頭がおかしくなったと皆に思われることについては
責任をもてませんねー・笑」
と、いうことですべてにおいて自己責任ということですわね(笑)!
では本当に興味のある方だけ、以下スクロールでお願いします。
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<2007年6月26日 Line&Cafe tone にて
池田邦吉による演題:これから世の中がどうなるか>
2007年8月下旬ごろ
イタリア・ナポリにあるベスビオ火山が活動を始める。ナポリを震源とする直下型地震。
現ローマ法王の死去。9月の始めにレオン14世と名乗る次期法王がベルギーから選出されるが
11月22日に暗殺される。以後法王は選出されず、ここにキリスト教は終焉を迎える。
ヨーロッパ全土で大洪水が発生。
秋雨前線や台風の影響などで北朝鮮の平壌が洪水下に。
軍事クーデターが起こり、金正日は処刑される。
9月25,26日ごろ
夕方の東の空、成層圏の上に巨大な光の玉が出現。
一人ひとりにメッセージを降ろす。
9月27日ごろ
ベスビオ誕生以来史上最大の火山爆発によってイタリアが崩壊する。
<超巨大円盤>が出現してヨーロッパ人を多数救出する。
ユーロ・ドルが崩壊し、世界金融恐慌が起こる。されど円高。
同時期に中国・北朝鮮の経済が破綻。
小麦・石油・金(ゴールド)の暴騰。
ベスビオの火山灰が北半球を覆い、
今年の冬は氷河期並みの厳しい寒さになる。
2008年5月ごろ
地中海にあるサントリーニ島の海底火山が爆発。
これによって大規模な地殻変動が始まる。
ヨーロッパ大陸とイギリス諸島が崩壊し、人の住める場所が少なくなる。
現在陸地のある部分の半分が水没する。
日本人はこの先世界のリーダーシップをとっていかなければならないので
各自が自分に誇りを持ち、正直な生き方を全うするように。
現在日本を支配している「かくれユダヤ」の血統は消滅する。
世界的食糧危機がやってくるが、日本は大丈夫なので
決してパニックになってはならない。
この時代、日本人に生まれたことを心から感謝して
「洗心(こころを清めること)」しつつ役目を果たしましょう。
・・・とのことでした

非常に濃厚な(笑)面白いひと時を過ごさせていただきました。
新たなご縁に感謝!!です




ひさびさに、Nさんの最新武勇伝情報です(笑)
mixiの日記を読まれていない方にご説明いたしますと、
Nさん・とは、3年位前に巡り合せていただいた私のメンターのことです。
メンターというのは人生の師匠とか導師とかいう意味の言葉ですが、
Nさんご本人にはそういった威厳とか風格とかはまるっきり無く(爆)
導師というよりはむしろ自然霊とか木霊に近いような
(実際に過去生において木霊だったことがおありのようです・・・笑)
非常にナチュラルテイストなスピリットをお持ちの方です。
私も、もうすぐまるまる39年も現世で生活させていただいていることになりますが
いまだNさんと同じ空気を醸し出していたり
キャラがかぶってるなーと思うような人には会った事がありません。
あくが強いのではなく、
あくがまったく無いのです。
それでいて個性的なのです。
そういう人もまた、生身の人間としてはとても珍しいと思われます。
人生をより良く生きるためのヒントを与えたりとか、
社会で成功するための秘訣や
お金持ちになるためのスキルを教える人は巷にたくさんいらっしゃいますが、
やはりNさんが自分のメンターだなあ~と思うのは
その奇跡的なまでの「あくの無さ」から繰り出される
数々の必勝(必笑?)パターンを
ダイレクトに伝えてくれる存在だからでしょうか・・・。
先日もNさんから電話があり、
「いま阿寒湖のキャンプ場から電話しているんだよ~^^」
とのことでした。
一週間以上前から、Nさんは定年退職なさったご主人と
道東巡りの旅に出ているのです。
アウトドアが大好きなお二人はキャンプ道具一式を車に詰め込んで
気の赴くままに大自然の中を満喫していらっしゃるそうです。
しばらくこちらには戻ってこないというので、
業務連絡みたいな内容のやり取りをしばらく行った後に
Nさんはハタと思いついたというふうに切り出しました。
「そういえば今朝ね~、熊に会ったよ
」
えっ、クマ?ヒグマ??
「うん、親子連れで3頭いたかなー。大きかったけど可愛かったよ~
」
どこで見たの・・・?
(・・・うん?この人『見た』んじゃなくて『会った』って言ったよな・・・まさか~・笑)
私は自分の配偶者がネイチャー写真家であることもあって、
熊の恐ろしさなるものをいつも耳にしているのです。
彼らのことを熟知していた故・星野道夫氏ですら
最期は命を奪われてしまったくらいです。
特にこの時期の熊は子育ての真っ最中なので、
母熊は非常に気が荒くなっています。
偶然、しばらく道東の写真撮影に出掛けていた
私の配偶者もこの日帰宅しており、
「熊よけの鈴を鳴らしながら夜間の撮影していたけど、本当に怖かった・・・」
と述懐していた矢先の電話でした。
「朝早くね、テントの近くでフキを取っていたら
なんかグルルルル~ってうなり声が聞こえたの」
・・・・・・・・・(汗)。
「顔を上げたら、15メートルくらい先の草むらから
3匹の熊が出てきたの。お母さんと小熊かな~?」
・・・・・・・・・(大汗)!!
それはとっても危険な遭遇パターンでございますよNさん!!!


いったいどうしたの、それから!?
「うん、なんか嬉しくなっちゃって~^^
『熊さんこんにちは!』って挨拶したの。
そしてね、『熊さんに歌を捧げます』って言って
歌ってきたの~~~
」
・・・・・・・・・・・・・・(脱力)。
「あっ、さすがに『森のくまさん』じゃないからね!」
・・・いや、そういうことをツッコミたいわけではないんだけど・・・


「しばらく歌ってたらね、主人が飛んできて熊よけの鈴を鳴らしたの。
そしたらみんな草むらの中に帰って行っちゃった・・・」


さも残念そうに言うなー!!!!


・・・まあ、無事にこうやって電話をかけているのだからいいんですけど
・・・
「それでね、
『ああ、熊も最初から人間に敵対心をもっているわけじゃないんだな~
こっちの恐怖心に反応しているだけなのかもしれないな~』って思ったさ
」
・・・それはそうかもね(笑)
でもね、きっと熊3頭に会って
いきなり歌いだす人なんていないと思うのよ・・・


熊もそういう人間、はじめて見たと思うよ・・・うん・・・


と、そんなわけで
私の知る「Nさんの武勇伝リスト」に
今回のエピソードもめでたく追加されることとなりました(笑)
この話をブログに載せるどうか迷ったんですが、
たまたまこれをシェアしたmixiのマイミクさんでお友達の
シンフォニアまなみさんが大うけしてくれて
「書いた方がいいよ~、世の中には熊がいきなり現れても平気で歌いだすような人もいるんだって、皆に伝えた方がいいよ~!」
とおっしゃってくださったので書きました(笑)
mixiの方でもかなりNさんという方の人となりを書かせていただいていますが
だいたいが「天然100%のボケ話」ばかりで
(こう書くと、ミもフタもありませんが・・・汗)
実はとても人生に造詣が深い方であるにもかかわらず、
いささかのお説教臭さもなく
智慧を押し付けるようなこともなさらず
日々を飄々と楽しんで生きてらっしゃるカンジです。
そんなフリースタイルでありながらも、
常識とか固定観念とかを打破して
新しい方向性を示唆してくれるという点において、
やはり私にはNさんは優れたメンターだなと思えるのです。
・・・・・でも、さすがに『森のくまさん』は歌わなかったんだなあ・・・・・(笑)
mixiの日記を読まれていない方にご説明いたしますと、
Nさん・とは、3年位前に巡り合せていただいた私のメンターのことです。
メンターというのは人生の師匠とか導師とかいう意味の言葉ですが、
Nさんご本人にはそういった威厳とか風格とかはまるっきり無く(爆)
導師というよりはむしろ自然霊とか木霊に近いような
(実際に過去生において木霊だったことがおありのようです・・・笑)
非常にナチュラルテイストなスピリットをお持ちの方です。
私も、もうすぐまるまる39年も現世で生活させていただいていることになりますが
いまだNさんと同じ空気を醸し出していたり
キャラがかぶってるなーと思うような人には会った事がありません。
あくが強いのではなく、
あくがまったく無いのです。
それでいて個性的なのです。
そういう人もまた、生身の人間としてはとても珍しいと思われます。
人生をより良く生きるためのヒントを与えたりとか、
社会で成功するための秘訣や
お金持ちになるためのスキルを教える人は巷にたくさんいらっしゃいますが、
やはりNさんが自分のメンターだなあ~と思うのは
その奇跡的なまでの「あくの無さ」から繰り出される
数々の必勝(必笑?)パターンを
ダイレクトに伝えてくれる存在だからでしょうか・・・。
先日もNさんから電話があり、
「いま阿寒湖のキャンプ場から電話しているんだよ~^^」
とのことでした。
一週間以上前から、Nさんは定年退職なさったご主人と
道東巡りの旅に出ているのです。
アウトドアが大好きなお二人はキャンプ道具一式を車に詰め込んで
気の赴くままに大自然の中を満喫していらっしゃるそうです。
しばらくこちらには戻ってこないというので、
業務連絡みたいな内容のやり取りをしばらく行った後に
Nさんはハタと思いついたというふうに切り出しました。
「そういえば今朝ね~、熊に会ったよ

えっ、クマ?ヒグマ??
「うん、親子連れで3頭いたかなー。大きかったけど可愛かったよ~

どこで見たの・・・?
(・・・うん?この人『見た』んじゃなくて『会った』って言ったよな・・・まさか~・笑)
私は自分の配偶者がネイチャー写真家であることもあって、
熊の恐ろしさなるものをいつも耳にしているのです。
彼らのことを熟知していた故・星野道夫氏ですら
最期は命を奪われてしまったくらいです。
特にこの時期の熊は子育ての真っ最中なので、
母熊は非常に気が荒くなっています。
偶然、しばらく道東の写真撮影に出掛けていた
私の配偶者もこの日帰宅しており、
「熊よけの鈴を鳴らしながら夜間の撮影していたけど、本当に怖かった・・・」
と述懐していた矢先の電話でした。
「朝早くね、テントの近くでフキを取っていたら
なんかグルルルル~ってうなり声が聞こえたの」
・・・・・・・・・(汗)。
「顔を上げたら、15メートルくらい先の草むらから
3匹の熊が出てきたの。お母さんと小熊かな~?」
・・・・・・・・・(大汗)!!
それはとっても危険な遭遇パターンでございますよNさん!!!



いったいどうしたの、それから!?
「うん、なんか嬉しくなっちゃって~^^
『熊さんこんにちは!』って挨拶したの。
そしてね、『熊さんに歌を捧げます』って言って
歌ってきたの~~~

・・・・・・・・・・・・・・(脱力)。
「あっ、さすがに『森のくまさん』じゃないからね!」
・・・いや、そういうことをツッコミたいわけではないんだけど・・・



「しばらく歌ってたらね、主人が飛んできて熊よけの鈴を鳴らしたの。
そしたらみんな草むらの中に帰って行っちゃった・・・」






・・・まあ、無事にこうやって電話をかけているのだからいいんですけど

「それでね、
『ああ、熊も最初から人間に敵対心をもっているわけじゃないんだな~
こっちの恐怖心に反応しているだけなのかもしれないな~』って思ったさ

・・・それはそうかもね(笑)
でもね、きっと熊3頭に会って
いきなり歌いだす人なんていないと思うのよ・・・



熊もそういう人間、はじめて見たと思うよ・・・うん・・・



と、そんなわけで
私の知る「Nさんの武勇伝リスト」に
今回のエピソードもめでたく追加されることとなりました(笑)
この話をブログに載せるどうか迷ったんですが、
たまたまこれをシェアしたmixiのマイミクさんでお友達の
シンフォニアまなみさんが大うけしてくれて
「書いた方がいいよ~、世の中には熊がいきなり現れても平気で歌いだすような人もいるんだって、皆に伝えた方がいいよ~!」
とおっしゃってくださったので書きました(笑)
mixiの方でもかなりNさんという方の人となりを書かせていただいていますが
だいたいが「天然100%のボケ話」ばかりで
(こう書くと、ミもフタもありませんが・・・汗)
実はとても人生に造詣が深い方であるにもかかわらず、
いささかのお説教臭さもなく
智慧を押し付けるようなこともなさらず
日々を飄々と楽しんで生きてらっしゃるカンジです。
そんなフリースタイルでありながらも、
常識とか固定観念とかを打破して
新しい方向性を示唆してくれるという点において、
やはり私にはNさんは優れたメンターだなと思えるのです。
・・・・・でも、さすがに『森のくまさん』は歌わなかったんだなあ・・・・・(笑)
私が住んでいる札幌の豊平区には
天神山緑地と呼ばれている場所があります。
緑地の中心は小さな山で、
四方には大きな道路と住宅街がびっしりとひしめきあっていますが
敷地内に「相馬神社」というお宮を併設しているためか
とてもひっそりとしており、
ひっそりしすぎていて
肝心の豊平区民にもやや忘れられがちです(汗)
なぜこの小高い丘(市では山だと言い張っていますが、規模は丘です・笑)が
天神山と呼ばれているのか謎ですが、
どうやら昔ここで天満宮を奉っていたことに由来しているらしいです。
太古の昔には、人間はこのあたりに集落をつくっていたらしく
天神山の土を掘り返すと
当時の人々が使用していた土器or石器を見つけることが出来ます。
もちろん今では採集禁止になっているはずですが、
私の配偶者などは少年時代にここで
毎日発掘作業をして遊んでいたのだとか・・・
そういえば北海道の初夏の風物詩
「YOSAKOIソーラン祭り」でおなじみの平岸天神は
このエリアを活動拠点にしていますね。
昨日は素晴らしい青空の一日でしたので、
久しぶりに自転車でこの天神山にアクセスして来ました。
配偶者は写真の撮影旅行に出掛けており、
子供は友達と映画を観に行っています。
主婦でありながら「単独行動が大好き
」な私は
このささやかな自由が本当に嬉しくて、
緑地の中を吹き渡る風に誘われながら
森林浴を楽しんできました


昨日の札幌も本当に暑かったのですが、
天神山の木々が作ってくれる木陰は
まさに天然のクーラーです。
まったりと涼みながら歩いていくと、
いつの間にか神社の敷地内に入っていました。
「相馬神社」にはとても大きなご神木があります。
樹齢300年を越える、立派な栗の木です。
私はこの木が大好きで、
子供がまだベビーカーに乗っていた頃などは
よくここまで散歩をしてきて
必ず木肌を触ってから家路に着いたものでした。
300年前と言うと、まだ日本は江戸時代で
ちょうど赤穂浪士の討ち入りなんかをやっていた頃です。
北海道はまだ倭人が入植する前のアイヌの時代でしょうか。
そんなときにこの木は生を受けて
以来現在までずっとこの地にあって
人の営みを見つめ続けてきたんですね
驚くべきことに、この木には大きな目があるのです。
それは太い枝が切り落とされた痕なのかもしれませんが、
ちょっと後ずさって見てみると
巨大な目玉がぎょろんと木の中心からこちらを窺っているようにも感じられるのです。
根元に立ち、天に向けて十手を広げているような形をした木を見上げていると
ホント~~~~に癒されますね・・・


足の裏から脳天まで、元気を分けていただけるカンジなんです。
そうやってしばらくご神木と共に
周囲の木々をざわめきを見ていました。
抜けるような青い空にライムグリーンの葉がきらきらと輝いて、
涼やかに風が吹き抜けていきます。
生土の地面には
照りつける陽射しと、風に踊る木陰が
絶妙な光と影のコントラストを描き出していました。
・・・なんて美しいんだろう・・・
自然と涙が溢れてきます。
どんなに頑張ろうとも、人工的にこれ以上の美を構築することは無理なのでしょう。
太陽にきらめく木の葉や雑草、鳥のさえずり、風の渡る音。
本当に地球は、天がこの地に与えたものは
そのままですでに充分完璧なんですね。
光と影とのバランスまでも。
そう、
「光」と「影」とのバランスでさえも・・・。
それはご神木と一緒に
「偉大な何者か(サムシング・グレート)」を感じることのできた
貴重な一瞬でした。
この地球の為になるようなこと・・・
パッと目を引くようなことは何一つできていないかもしれないけれど、
焦らずに地道なところから積み上げていきたいなと思いました


天神山緑地と呼ばれている場所があります。
緑地の中心は小さな山で、
四方には大きな道路と住宅街がびっしりとひしめきあっていますが
敷地内に「相馬神社」というお宮を併設しているためか
とてもひっそりとしており、
ひっそりしすぎていて
肝心の豊平区民にもやや忘れられがちです(汗)
なぜこの小高い丘(市では山だと言い張っていますが、規模は丘です・笑)が
天神山と呼ばれているのか謎ですが、
どうやら昔ここで天満宮を奉っていたことに由来しているらしいです。
太古の昔には、人間はこのあたりに集落をつくっていたらしく
天神山の土を掘り返すと
当時の人々が使用していた土器or石器を見つけることが出来ます。
もちろん今では採集禁止になっているはずですが、
私の配偶者などは少年時代にここで
毎日発掘作業をして遊んでいたのだとか・・・
そういえば北海道の初夏の風物詩
「YOSAKOIソーラン祭り」でおなじみの平岸天神は
このエリアを活動拠点にしていますね。
昨日は素晴らしい青空の一日でしたので、
久しぶりに自転車でこの天神山にアクセスして来ました。
配偶者は写真の撮影旅行に出掛けており、
子供は友達と映画を観に行っています。
主婦でありながら「単独行動が大好き

このささやかな自由が本当に嬉しくて、
緑地の中を吹き渡る風に誘われながら
森林浴を楽しんできました



昨日の札幌も本当に暑かったのですが、
天神山の木々が作ってくれる木陰は
まさに天然のクーラーです。
まったりと涼みながら歩いていくと、
いつの間にか神社の敷地内に入っていました。
「相馬神社」にはとても大きなご神木があります。
樹齢300年を越える、立派な栗の木です。
私はこの木が大好きで、
子供がまだベビーカーに乗っていた頃などは
よくここまで散歩をしてきて
必ず木肌を触ってから家路に着いたものでした。
300年前と言うと、まだ日本は江戸時代で
ちょうど赤穂浪士の討ち入りなんかをやっていた頃です。
北海道はまだ倭人が入植する前のアイヌの時代でしょうか。
そんなときにこの木は生を受けて
以来現在までずっとこの地にあって
人の営みを見つめ続けてきたんですね

驚くべきことに、この木には大きな目があるのです。
それは太い枝が切り落とされた痕なのかもしれませんが、
ちょっと後ずさって見てみると
巨大な目玉がぎょろんと木の中心からこちらを窺っているようにも感じられるのです。
根元に立ち、天に向けて十手を広げているような形をした木を見上げていると
ホント~~~~に癒されますね・・・



足の裏から脳天まで、元気を分けていただけるカンジなんです。
そうやってしばらくご神木と共に
周囲の木々をざわめきを見ていました。
抜けるような青い空にライムグリーンの葉がきらきらと輝いて、
涼やかに風が吹き抜けていきます。
生土の地面には
照りつける陽射しと、風に踊る木陰が
絶妙な光と影のコントラストを描き出していました。
・・・なんて美しいんだろう・・・
自然と涙が溢れてきます。
どんなに頑張ろうとも、人工的にこれ以上の美を構築することは無理なのでしょう。
太陽にきらめく木の葉や雑草、鳥のさえずり、風の渡る音。
本当に地球は、天がこの地に与えたものは
そのままですでに充分完璧なんですね。
光と影とのバランスまでも。
そう、
「光」と「影」とのバランスでさえも・・・。
それはご神木と一緒に
「偉大な何者か(サムシング・グレート)」を感じることのできた
貴重な一瞬でした。
この地球の為になるようなこと・・・
パッと目を引くようなことは何一つできていないかもしれないけれど、
焦らずに地道なところから積み上げていきたいなと思いました



も~~~圧巻だったです



凄い数の母船型UFOを見ました。
・・・といっても、夢の中のおハナシですけどね(笑)
夢でUFOを見たのは二回目です。
一回目は2年位前、
何の前触れも無くある日いきなり夢に見てしまいました。
よくハリウッド映画などで、
宇宙人が地球を侵略しに来るとか
大型の宇宙船が飛来してくるとか
そんな映像が作られていることと思いますが・・・
私の場合はハリウッド映画そのものにあまり興味がない上に
UFOや宇宙人ももちろん存在しているだろうと思ってはいましたが
(だって、銀河が何万個と浮かんでいるこの広大な宇宙に
知的生命体が地球人だけだなんて、考えることの方がオカシイですよね・・・)
目の前の実生活にはまったく関連性が無いので(笑)
意識上にそれらの話題が浮上してくることなんてのは
皆無と言っていいほどありませんでした。
そんな私が一度目に見たのはこんな映像です。
ある日、よく行くお友達の家に遊びにいって
窓側の席からなんとなく外の景色を眺めていたのです。
すると上空にいきなり大きな黒い影が・・・
不審に思って視線を上げると、
そこには超!!リアルなUFOが浮かんでいるのでした。
窓から見上げているとUFOの下の部分が丸見えになっているわけですが、
この丸見え映像が
我ながらぞっとするほどリアリティに溢れていました。
UFOは一機だったのですが、目の前の空き地に降下してきました。
私はなぜか瞬間的に「自分を迎えに来たんだ!」と思い、その場から逃げ出しました。
だって私には
「家族の晩ご飯を作る」という大事な使命があったからです(←爆笑)!
今夜のメニューは肉じゃがなのよ!!
食卓に料理を並べてからでないと、安心して宇宙に帰れないわ(←大爆笑)!!!
夢の中で真面目に私はそう思っていたんです。
それでUFOから降りてきたメタリックボディの宇宙人に
掴まるまいと逃げ回るんですが、
最後はとうとう掴まってしまいました(鈍足ですみません・・・涙)。
と、ここで、いきなり夢が終わってしまいました。
目が覚めて、ちゃんといつもの自分に戻っていて、心の底からほっとしました。
いや~~~ホント~~~に怖かった~~~~!



そんな初回の夢もかなりディープインパクトだったんですが
昨日見たのは、それとはちょっとテイストの違う夢でした。
自宅で、やはりそのときも窓の傍に立っていて
空を見上げてしまったんです。
そしたら雲の割れ目から
なにやら黒光りする細長い飛行物体が
ゆっくりと降下してくるではありませんか!!
えっ、なんだろ、自衛隊の演習でも米軍の飛行機でもないよね・・・
唖然として見つめていると
続々と同じような形の船?が出現してきました。
ざっと見で10機くらいはいたと思います。
そして、アンビリーバボーなほど大きいのです!!
ようやく私はUFOの母船が降りてきたんだと理解しました。
自宅マンションから下の道路を見おろすと、
UFOが着陸したと思しき方向から
たくさんの人たちが車を運転して逃げてきていて
大渋滞になっていました。
さすがに凄い光景だったので足がすくみましたが、
逃げまどうのはちょっと違う気がしました。
彼らは別に地球を侵略しようと思っているわけではないので
(と、なぜか勝手に解釈している自分・笑)
度肝は抜かれちゃったけれども
両手を広げてウェルカム地球へ!と言って迎え入れることはできないのだろうか・・・。
う~ん、この渋滞のなかをかいくぐって
なんとかUFOの近くまで行く方法を考えないと・・・
・・・と、悩んでいるうちに
またもやそんなハンパな場面で夢が終わってしまいました(汗)
一度目と違ってそれほど怖くなかったのでよかったです。
耐性が出来たのだろうか・・・(笑)
でも夢の中とはいえ、
あれだけのUFOの大群を見たら
やはりとても怯んでしまいます。
私の高校時代の友人で、自宅の近くで
実際にUFOの編隊を見たことがある人がいますが。
そのときのことがよほど怖かったのでしょう、
今でもその話には絶対に触れようとしません。
なるほど、理性ではその存在を認めていても
実際に目の当たりにすると全然違う反応が出てくるかもしれないんですね・・・


なんかいろんな意味で勉強になった夢でした(笑)




凄い数の母船型UFOを見ました。
・・・といっても、夢の中のおハナシですけどね(笑)
夢でUFOを見たのは二回目です。
一回目は2年位前、
何の前触れも無くある日いきなり夢に見てしまいました。
よくハリウッド映画などで、
宇宙人が地球を侵略しに来るとか
大型の宇宙船が飛来してくるとか
そんな映像が作られていることと思いますが・・・
私の場合はハリウッド映画そのものにあまり興味がない上に
UFOや宇宙人ももちろん存在しているだろうと思ってはいましたが
(だって、銀河が何万個と浮かんでいるこの広大な宇宙に
知的生命体が地球人だけだなんて、考えることの方がオカシイですよね・・・)
目の前の実生活にはまったく関連性が無いので(笑)
意識上にそれらの話題が浮上してくることなんてのは
皆無と言っていいほどありませんでした。
そんな私が一度目に見たのはこんな映像です。
ある日、よく行くお友達の家に遊びにいって
窓側の席からなんとなく外の景色を眺めていたのです。
すると上空にいきなり大きな黒い影が・・・
不審に思って視線を上げると、
そこには超!!リアルなUFOが浮かんでいるのでした。
窓から見上げているとUFOの下の部分が丸見えになっているわけですが、
この丸見え映像が
我ながらぞっとするほどリアリティに溢れていました。
UFOは一機だったのですが、目の前の空き地に降下してきました。
私はなぜか瞬間的に「自分を迎えに来たんだ!」と思い、その場から逃げ出しました。
だって私には
「家族の晩ご飯を作る」という大事な使命があったからです(←爆笑)!
今夜のメニューは肉じゃがなのよ!!
食卓に料理を並べてからでないと、安心して宇宙に帰れないわ(←大爆笑)!!!
夢の中で真面目に私はそう思っていたんです。
それでUFOから降りてきたメタリックボディの宇宙人に
掴まるまいと逃げ回るんですが、
最後はとうとう掴まってしまいました(鈍足ですみません・・・涙)。
と、ここで、いきなり夢が終わってしまいました。
目が覚めて、ちゃんといつもの自分に戻っていて、心の底からほっとしました。
いや~~~ホント~~~に怖かった~~~~!




そんな初回の夢もかなりディープインパクトだったんですが
昨日見たのは、それとはちょっとテイストの違う夢でした。
自宅で、やはりそのときも窓の傍に立っていて
空を見上げてしまったんです。
そしたら雲の割れ目から
なにやら黒光りする細長い飛行物体が
ゆっくりと降下してくるではありませんか!!
えっ、なんだろ、自衛隊の演習でも米軍の飛行機でもないよね・・・
唖然として見つめていると
続々と同じような形の船?が出現してきました。
ざっと見で10機くらいはいたと思います。
そして、アンビリーバボーなほど大きいのです!!
ようやく私はUFOの母船が降りてきたんだと理解しました。
自宅マンションから下の道路を見おろすと、
UFOが着陸したと思しき方向から
たくさんの人たちが車を運転して逃げてきていて
大渋滞になっていました。
さすがに凄い光景だったので足がすくみましたが、
逃げまどうのはちょっと違う気がしました。
彼らは別に地球を侵略しようと思っているわけではないので
(と、なぜか勝手に解釈している自分・笑)
度肝は抜かれちゃったけれども
両手を広げてウェルカム地球へ!と言って迎え入れることはできないのだろうか・・・。
う~ん、この渋滞のなかをかいくぐって
なんとかUFOの近くまで行く方法を考えないと・・・
・・・と、悩んでいるうちに
またもやそんなハンパな場面で夢が終わってしまいました(汗)
一度目と違ってそれほど怖くなかったのでよかったです。
耐性が出来たのだろうか・・・(笑)

でも夢の中とはいえ、
あれだけのUFOの大群を見たら
やはりとても怯んでしまいます。
私の高校時代の友人で、自宅の近くで
実際にUFOの編隊を見たことがある人がいますが。
そのときのことがよほど怖かったのでしょう、
今でもその話には絶対に触れようとしません。
なるほど、理性ではその存在を認めていても
実際に目の当たりにすると全然違う反応が出てくるかもしれないんですね・・・



なんかいろんな意味で勉強になった夢でした(笑)
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プロフィール
HN:
ハピグレ
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1968/06/27
職業:
地球人
趣味:
散歩・旅行・読書・音楽鑑賞
自己紹介:
幼少時より、ひとつところに長く居座ることが苦手な性格のため「天然スナフキン」の異名をとる。
迷子センター保護記録は一年間で最多7回。
安住の地を求める心が完全に欠如している、生まれながらのさすらい人間。
ニックネームの「ハピグレ」の由来は、本名を英訳すると「ハッピーグレイス」となるため。
・・・え?ひねりが足りないですか???
迷子センター保護記録は一年間で最多7回。
安住の地を求める心が完全に欠如している、生まれながらのさすらい人間。
ニックネームの「ハピグレ」の由来は、本名を英訳すると「ハッピーグレイス」となるため。
・・・え?ひねりが足りないですか???
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