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その2の続きです


前半を「アティテューディナル・ヒーリング」とは何ぞや・という
勉強会に費やして、
残りの時間はその学んだことを
早速グループ内で体験してみる・という作業に入ります。

十人くらいのグループを作り、
それぞれ持ち時間5分間で
自分の話をします。
ただし留意しなければならないのは
「自分自身の今の気持ち」
にフォーカスした話題を選ぶということです。

たとえば
「今はちょっと緊張しています。なぜなら・・・」
とか
「なんだかちょっとがっかりしています。それは・・・」
など。

しかしこの実習では
実は話し手が主役ではありません。
話題を提供する人は、あくまでも実験材料を提供しているに過ぎないのです。

メインは「聴く」という姿勢です。
そして聴いている人たちには、
誰かの話が終わっても決してコメントを発しないことが要求されます。
もちろん話された内容に対してアドバイスを行うこともタブーです。
とにかく無心になって相手の話だけを聴く、
自分の内部のストーリーに耳を貸さずに・ということです。
そしてこのワークを行うことによって私たちは、
自分がいかに人の話を聴いているふりをして
自分内の・自分限定の信念に基づき
相手の状態を評価しているのかがはっきりと解るのです。

「そんなことで悩んでいるんだ~。もっとこうすればいいのに・・・」
「暗いねー。そんなんだからそうなんだよ、もっと前向きに生きなきゃ・・・」
「そりゃひどいや。放っておいたらマズイんじゃない?専門医に相談するとか・・・」
「君のせいじゃないよー、相手が悪すぎたんだよ。僕だったら・・・」
・・・
普段、私たちが繰り広げている会話とは
そんなようなものだと思います。

最初はグループ内でも
各自が披露する様々な痛みや苦しみの感情に
翻弄されたり共感したり同調したりする傾向がありますが。

意識して徹底的に「聴く」ことに集中していくと
やがてほとんど無我の境地に至っていくから不思議です(笑)

そしてこのワークが終わると分かれていたグループはまた一つになって、
「他人の話に対する感想」ではなく
「自分がどういう感覚になったか」
「自分の内部では何が起こっていたか」
を発表しあいます。

最後にそれぞれが今日のワークショップの感想を短く述べ、
(長く述べても構わないのですが、強制ではないので拒否もできます)
お開きとなります。

皆さんの話からすると、
普段よくおしゃべりをする人は
黙って人の話を聴いていることに苦痛を感じたり
怖れを抱いたりすることが多いようです。

しゃべる・という行為によって常に自己アピールをしているため、
しゃべらないでいる自分というものが
まったくの役立たずで価値の無い存在であるように感じられるそうです。

いかに自分の中に
「発言せねば・何か気の利いたことを言わなければ」
という強迫観念が根付いているかが解った・ということでした。

私の場合は逆で、
普段からさほどおしゃべりではありません。
むしろ黙って人の話を聴くことが多いので、
今回沢山の方の話を聴くことに対しては
まったく苦痛を感じませんでした。

だからこそ気がついたのですが、
これが家族や近しい人の話となると一転して
悲しい話に一緒に傷つき、辛い話に心を痛めることが多いということは、
日ごろ私が
いかに自分の愛する人々に対して
「この人たちは私と関わっている以上、
この私の目の前で
決して傷ついたり苦しんだりしてはいけないのだ」
という強烈な思い込みを抱いていたか・・・ということなのです!


なぜ「私」はそんなことを思い込んでいるのでしょう?


その「思い込み」は真実なのでしょうか?


いいえ、真実であるはずがありません。
この世界で繰り広げられている現実は
「私の目の前であろうと無かろうと
私の愛する人は傷つくし、苦しむ」
ということなのです。
その現実と決して相容れない理想、信念を握り締めているから
「私」は彼らの体験談に共に深く傷ついて
彼らの話を聴くことに対して苦痛を伴ってしまうのです。


「・・・なんだ・・・。そういうことか・・・」


自分で答えを導き出してしまうと、
驚くべきことが起こりました。

私はこれ以降、
誰のどんな話を見聞きしても
まったく心が動揺しなくなったのです!!!

感情が無くなったわけではありませんよ(笑)
むしろ以前よりもダイナミックに共感できるようになりました。
喜びの報告に、一緒に喜んだり
残念な結果に、心から残念だったねと言えたり。

比べてみると、前はバリアーを張っていたのが解ります。
自分の心を守るための保護膜、結界のようなものです。
本当に傷つかずに済むのですが、
これがあると喜びの感情や楽しいという感情にさえ
一枚薄いベールがかかったような手触りになるのです。

私はずいぶん長いこと、家族に、というよりも自分自身に嘘をついてきました。

全然「よかった」なんて思ってもいないのに「よかったね~」と言ってみたり
全然嬉しくも無いのに「ありがとう」と微笑んでみたり。

どうでもいいや・と思っていることに長時間耳を貸していたり
時間の無駄だと感じていることに付き合ってみたり。

美しいとも思わないものを褒めてみたり。
心なんか動かされてもいないのに、感動したふりをしたり。

すべてうわべだけです。
見せかけです。
皆がそういう風に言っているから、
そうなんだろうと思っただけです。
本当の「私」はただの一度も
ピカソやモーツアルトを天才だと思ったことはないし、
書家が書き上げた大作を見て心を打たれたことなんてありません。
まして自分の配偶者の愚痴なんて
道路に落ちている意味不明の軍手くらい、どうでもいいものなんです。

それでも愚痴に心が痛むのは
「私の世界に悲しみや苦しみがあるのは許さん
という凝り固まった『考え』の為だったんです。

私は、ずいぶん長いこと
どこか「ここではない本当の場所」を捜し求めて
空虚な気持ちで生きていました。
たいていの瞬間に、
「いま」という時間に生きていることはありませんでした。
とうに終わってしまった過去か・・・
予想もつかない未来か・・・
いずれにしても「現在」にいることは滅多にありませんでした。

それでも
「良き母・良き妻・良き友人・良き人間」
の仮面を被り続けてきたのは、
この世界ではそういう姿勢を
(内面がどうであれ)
取っていることが大事なのだと
無意識のうちに信じていたからです。
それが周囲との軋轢を生まない最もベストな選択であるという「考え」を
強く握り締めていたためです。

でも、もう自分自身を偽りません。
自分に正直に接していきます。

齢39歳にしてようやくですが(笑)
「自分を愛する」という言葉の意味が解るようになりました。

それは
飲みにいったりセラピーにいったり映画を見に行ったり
ご褒美と称して自分に何か高価なものを与えたり
嗜好品ざんまいのひと時を確保して幸福感に浸ったり・
とかいうものではありません。

それらはひと時の心の慰めには成り得ても、
本質的な部分で
なんらの変化も生み出さない気休めに過ぎないことが解りました。

本当に・・・
自分を愛するということは簡単です。
お金も時間もかかりません。


ただ
「自分に正直になること」
・・・

裁いたり責めたり判断したりせずに
自分が頑なに握り締めている「考え」だけに焦点を当て、
その「考え」が自分にとって
どんな現実を見せているかを「知る」のです。

そして自分にとって
葛藤を起こさせるような「考え」を握り締めている「私」を発見したら、
優しく自分に問い直してみるのです・・・



・・・・・「その『考え』は本当ですか?」



次回は、ADHジャパン代表の水島広子さんが訳した
『探すのをやめたとき愛は見つかる~人生を美しく変える四つの質問~』
という本をご紹介したいと思います。

長い文章にお付き合いくださって
本当にいつもありがとう・・・

ではまた!!!










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難しいかも…
自分に正直に生きる!
簡単だけどむずかしい。
むずかしくしてるのは自分なんだけどね^^;

自分を守る保護膜って、わかるわ~
それがあるから、良いこともぼやけて感じる、というのもすごくわかる~!!

続き、楽しみにしてます。
らくだや 2007/08/12(Sun)19:50:43 edit
らくだやさんへ☆
今日の札幌は34℃!!暑かったですね~(涙)

私もずっと「自分に正直に生きる」ことって難しいと思っていました。しかしなぜ「難しいと感じるのか」について焦点を当てて考えてみたことはありませんでした(笑)

私の場合ですが、「自分に正直に生きると周囲に認められず、評価してもらえない」という『考え』を握り締めていたことが原因でした。
なぜ周囲に認められて評価してもらわないといけないのか・・・?
それは「周囲から認められもせず評価してもらえていない自分なんて、存在する意味が無い」という『考え』を握り締めていた所為でした。

その『考え』は果たして本当なのでしょうか?

答えはもちろんノーですよね(笑)
外部になんら認められなくても、自分はこうして生きているんです。存在しているんです。
そしてその『考え』が自分を益するものではなく逆に虐げるものであると理解したとき、私はその『考え』を手放すことに成功しました。

外の世界に自分の生きている証を求めないとき、新たな自由への船出が始まると思います。
その旅を、ベストを尽くして満喫したいですね^^☆!
ハピグレ 2007/08/12(Sun)21:55:12 edit
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HN:
ハピグレ
年齢:
56
性別:
女性
誕生日:
1968/06/27
職業:
地球人
趣味:
散歩・旅行・読書・音楽鑑賞
自己紹介:
幼少時より、ひとつところに長く居座ることが苦手な性格のため「天然スナフキン」の異名をとる。
迷子センター保護記録は一年間で最多7回。
安住の地を求める心が完全に欠如している、生まれながらのさすらい人間。
ニックネームの「ハピグレ」の由来は、本名を英訳すると「ハッピーグレイス」となるため。
・・・え?ひねりが足りないですか???
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